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キャンプ富士の隊員や従業員など120名余りが3月11日、日米両国旗を掲げ列を組んで、東日本大震災を追悼するための追悼ランを行いました。

Photo by Katie Gray

キャンプ富士で黙とうとランで東日本大震災を追悼

15 Mar 2021 | Katie Gray U.S. Marine Corps Forces, Pacific

東日本大震災から10年目をむかえた3月11日、キャンプ富士の隊員や従業員など120名余りがキャンプ富士基地司令官のロブ・ボウディシュ大佐を先頭に、追悼ランを行いました。

約5キロのランは、ボウディシュ司令官と、同施設の専属牧師であるマシュー・シリング少佐の言葉で締めくくられました。

大震災後、米四軍は日本との両国間の活動としては過去最大規模となる「トモダチ作戦」において、自衛隊を支援し、人道支援・災害救援活動を開始しました。

キャンプ富士の隊員らは当時、仙台空港と山形空港での復旧活動および支援活動に従事しました。

現在キャンプ富士に勤務する元軍人を含む数名の米軍関係者は震災当時、日本やキャンプ富士にいました。

キャンプ富士の施設管理担当官チュマ・アゴムオ氏は、震災後に青森県の三沢空軍基地に派遣されたヘリコプター部隊の分遣隊班長を務める下士官で、彼のチームの任務は、救助や物資の搬送を行う航空機の整備や修理でした。

彼は「被災した町に行くと、そこがどれほどの被害を受けたのかがよくわかりました。絶望的な気持ちになりました。だからこそ、その町の住民に何かしらの希望を与えることが、私たちの使命だったのです」と述べました。

陸上自衛隊滝ヶ原駐屯地に勤務する高橋一博2等陸曹も米軍関係者と共に追悼ランに参加し、このようなイベントは、悲劇を忘れないためだけでなく、いまだ震災の影響を受けている住民を励ますためにも重要だと話していました。

彼は「大震災を体験した私たちが、それを知らない若い世代の参加者にそのことを語り継ぐいい機会でもあります。こうすることで、無私無欲で献身的に働いた多くの人たちのことを共有することができるのです」と述べました。

高橋2曹は当時、宮城県仙台の霞目駐屯地で航空通信員として勤務していました。

彼は、今年になって初めて、キャンプ富士の海兵隊員が数キロ離れた場所で働いていることを知ったと話していました。

彼は「今、私はキャンプ富士のちょうど真向かいに駐屯しています。私は目に見えない絆に導かれ、ここで海兵隊と共に働いているのだと感じています。この絆は私にとって特別なものであり、この関係を維持し、さらに強化し、お互いに支え合っていきたいと思っています」と語っていました。

高橋2曹の言葉を受けて、アゴムオ氏は1979年のキャンプ富士火災の際に、地元の人々から支援を受けたことを思い出しました。

アゴムオ氏は「もし、今、立場が逆であったとしても、地元の方たちは同じように支援をして下さると思います。私たちは今回のことを記憶に残しておかなければなりません。そうすることで、お互いがお互いのために何をするべきなのかを理解するのです」と述べました。



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