2月11日の午後2時半ごろ長野県白馬村白馬コルチナスキー場の第2リフト付近は騒然となりました。スノーボードを楽しもうと京都府から両親と中学の友人たちと訪れていた関口礼智君(13)が転んだ際にボードに頭部をぶつけ外傷を負いました。頭頂あたりをボードのエッジで裂傷を負い、顔は血だらけとなりゲレンデの雪までも血に染まり大騒ぎとなった、と礼智君の父親・俊也さんが当時のことを話してくれました。
当初は事故の興奮で痛みを感じていなかった礼智君本人も、友人たちも止まらない出血にパニックになってしまった、と俊也さんが語りました。その時ライアン・カートライト3等軍曹、タイラー・ラロ3等軍曹、スコット・ダイク3等軍曹が現れ所有していたファーストエイドキットで素早く応急処置をしてくれた、と俊也さんが語りました。その素早く的確な応急処置によって、パニック状態だった礼智君も友人らも安心して、救護を待てる状態になったと俊也さんが語りました。軍曹らがスノーモービルの救護隊が来てくれるまで礼智君たちを励ましつつ、一緒に待っていてくれたのも大きいと語りました。事故当時、親子は別々に滑っており、俊也さんは救護チームがスノーモビールで礼智君をゲレンデまで搬送されるのを待っていました。
地元の病院が閉まることもあり、直ぐに病院に向かった親子はカートライト3等軍曹らと取り急ぎ、お互いの情報を交換しました。頭部7針を縫う怪我となりましたが、今は後遺症もなく順調に回復しています。
カートライト軍曹ら3人は海兵隊キャンプ・ハンセン(沖縄県)第7海兵連隊第1大隊に展開中で、海兵隊キャンプ・フジ(静岡県)の訓練でたまたま関東近郊におり、その休暇の合間にラロ軍曹が計画し長野県に訪れていた時に事故に遭遇しました。
カートライト軍曹は「自分は以前もこのような状況で救護キットを使い、怪我をした人を助けたことがあった。以後、怪我が起こりそうなところにはファーストエイドキットは必ず持っていくようにしている」と語りました。自分たちは海兵隊として助けを求めるものを助けるという当然のことをしただけです、と述べました。
俊也さんは「軍曹らが息子を的確に処置をしてくれなければ、出血が止まらずスノーモービルで搬送中も、その後自分が病院に行く間ずっと出血していただろうと思う。自分たちが慌てずに病院に連れていけたのも軍曹らのお陰だ。英語が話せないので、翻訳機を使いながらその夜にお礼のメッセージを送った」と語りました。
きちんとお礼を伝えたかった俊也さんは言葉の壁のもどかしさを感じながら、もし京都に来る機会があればぜひ教えてほしい、食事にでも行こう、と軍曹らにメッセージを送ると、ちょうど部隊の友人たちと京都観光を予定していた軍曹らは快く応じました。事故から2週間後、軍曹たちは京都観光の間に関口一家と再会し、一緒に焼肉に行ってとても楽しいひと時を過ごしたそうです。
カートライト軍曹が自分は海兵隊が教える常に大変な事態に備える事を信条にしており、緊急時に人命を救うのにほんの数分しかない時がある。その瞬間のために常に精神面、肉体面、感情面を準備し行動に移せるときに(今までの準備が)報われる、と語りました。