キャンプ・バトラー
沖縄にある米海兵隊基地の説明です。

キャンプ・バトラー

 

キャンプ・バトラーは沖縄県北中城村にある米海兵隊太平洋基地司令部ビルに所在し、沖縄県内にあるすべての海兵隊基地および海兵隊施設を統括する組織の名称です。

 

キャンプ・バトラーはアメリカ海兵隊員として唯一、名誉勲章を二度受章した二名のうちの一人、スメドリー・バトラー少将にちなんで命名されました。

キャンプ・バトラーの任務は沖縄県内にある全ての海兵隊施設や駐留する海兵部隊の訓練場、職場施設の継続的かつ合理的なサービスを提供することで、海兵隊が効果的に訓練を実施し、日米安全保障の任務を遂行できるよう、必要な支援を提供することです。

キャンプ・バトラーに属する主な海兵隊の施設は、次の8つの基地です。

キャンプ・フォスター/レスター

 

キャンプ・フォスターは沖縄本島中部に位置するアメリカ海兵隊の駐屯地です。

 

沖縄市、宜野湾市、北谷町(ちゃたん)、北中城村(きたなかぐすく)の四市町村にまたがって所在していて、基地名は名誉勲章を受章したウイリアム・フォスター 1等兵の名前に由来しています。

いまだに米陸軍当時の名称でキャンプ瑞慶覧(ずけらん)と呼ぶ人もいますが、実際には1975年に米陸軍から米海兵隊に移管した際に、基地名も変更しています。

キャンプ・フォスターに隣接するキャンプ・レスターは軍人やその家族の住宅地として使用しています。

キャンプ・レスターの名は沖縄戦で活躍し名誉勲章を受章した病院の実習生、フレッド・レスター1等兵曹にちなんで名付けられました。

任務

キャンプ・フォスターの任務は基地内の部隊への作戦、運営、モラル、安全そして防衛支援管理です。

キャンプ・フォスター内には、司令部、兵舎や住宅、小中高校、消防署、郵便局、銀行、教会、スーパー、映画館やボウリング場といった娯楽施設など、日常生活に必要なものがほとんど揃っており、1つの街として形成されています。

キャンプ・レスターは沖縄県北谷町にある米軍の住宅専用地域です。 1977年、米陸軍から米海兵隊に移管されました 。

キャンプ・レスターは1996年のSACO最終報告により、大部分の返還が合意されています。

1998年、キャンプ・レスター内に北谷町の庁舎が建設され、2003年に北谷町庁舎の土地を含む施設の北側部分が返還されました。

地域への関与

基地内からの海兵隊員のボランティアが地元の学校、孤児院、老人ホームなどを訪ねたり、基地内のフリーマーケットやフェスティバルなどで住民を招待し友好関係を築いています。

 

キャンプ・フォスター/レスター司令官

デビッド・バニング大佐

デビッド・バニング大佐

 

キャンプ・キンザー

 

キャンプ・キンザーは沖縄県浦添市の西海岸沿いにあるアメリカ海兵隊の駐屯地です。

 

この基地は沖縄戦で戦死し、名誉勲章を受章したエルバート・キンザー伍長にちなんで命名されました。

1945年、沖縄に進行してきた米陸軍が沖縄南飛行場を接収し、米軍の物資集積所として建設しました。

1978年、米陸軍から米海兵隊に移管されました。

任務

収納庫が集合していて、那覇港に近接していることから兵站基地として後方支援に理想的な場所に設置されています。

キャンプ・キンザーの任務は、継続的な戦務支援(整備、補給、工作、そして医療支援)を在日米海兵隊に提供することです。

地域への関与

浦添地域の人々と基地内に住む軍人とその家族が友好関係を継続できるよう、スポーツイベントを始め、キンザーフェストやクリスマスツリーのライトアップやパレードなどの行事を一般の人々にも開放しています。

キャンプ・キンザーにある多くの施設は、基地内で暮す家族を支援するために設立されたもので、託児所や小学校、教会や医療施設、スーパーや飲食店、映画館やボウリング場などの娯楽施設もあります。

 

キャンプ・キンザー司令官

アンドレ・イングラム大佐

キャンプ・コートニー/マクトリアス

 

キャンプ・コートニーは沖縄県うるま市にあるアメリカ海兵隊の駐屯地です。

 

この基地は沖縄戦で戦死して名誉勲章を受章した、ヘンリー・コートニー少佐にちなんで命名されました。

1945年、米陸軍の物資集積場として開設されました。

1958年、米海兵隊基地として使用が始まりました。

キャンプ・コートニーに隣接するキャンプ・マクトリアスは軍人やその家族の住宅地として使用しています。

キャンプ・マクトリアスは沖縄戦で戦死して名誉勲章を受章した、ロバート・マクトリアス2等兵にちなんで命名されました。

任務

キャンプ・コートニーには在日米海兵隊の司令部があり、駐在する部隊や住人へのモラル、地域交流、安全そして防衛支援を提供しています。

キャンプ・マクトリアスは、施設内に住む軍人やその家族の支援を行っていて、施設内にはベクテル小学校があります。

地域への関与

日本人のための英会話教室、フリーマーケット、コートニー・クリスマスフェスティバル、みどり町内のごみ拾いなど様々なイベントを通して米軍人やその家族と地元地域との調和を推進しています。

 


 

キャンプ・コートニー/マクトリアス司令官

エリック・A・メドアー大佐

 

キャンプ・ハンセン

 

キャンプ・ハンセンは沖縄県金武町にあるアメリカ海兵隊の駐屯地です。

 

基地名は沖縄戦で戦死し名誉勲章を受章したデール・ハンセン2等兵にちなんで名付けられました。

1945年、沖縄に上陸した米軍は金武村に2000メートルの金武飛行場を建設しました。

1956年、金武飛行場は最盛期を迎えましたが、現在その飛行場は存在していません。

1957年、キャンプ・ハンセンとして使用が開始され、ベトナム戦当時、米国とベトナムの中間通過地点として使用されました。

1997年、実弾砲兵射撃訓練は本土へ移転しました。

2008年、陸上自衛隊も同施設内で訓練ができるようになりました。

任務

キャンプ・ハンセンには中部訓練場が隣接しており、米国内からの部隊配備プログラムを受け入れています。

この施設は戦術的作戦訓練基地であり、第三海兵遠征軍の訓練設備の維持・運営を支援しています。

地域への関与

キャンプ・ハンセンは基地周辺に住む金武町住民や地元で働く人々と揺るぎない関係を持続しており、交流を深めるために商工会議所行事やスポーツなどの地域社交行事に参加しています。

基地に駐留する部隊は、地元の病院、孤児院、老人ホームなどの支援も行っていて、地元からの要望があれば、基地内の緊急医療も利用可能です。

年数回行われるフレンドシップデイでは、基地のゲートを一般開放し、基地周辺に住む地元の方々のみならず全国の市民を対象に、基地内に招待しています。

さらに夏恒例のハンセン・フェスティバルには、毎年数千人の一般市民が基地を訪れ、交流を深めています。

 

キャンプ・ハンセン司令官

リチャード・マーティン大佐

リチャード・マーティン米海兵隊大佐

 

 

キャンプ・シュワブ

 

キャンプ・シュワブは沖縄本島北部の久志岳下方傾斜に位置するアメリカ海兵隊の駐屯地です。

 

名前の由来は、沖縄戦で名誉勲章を受章したアルバート・シュワブ1等兵にちなんで名付けられました。

1944年、日本帝国海軍の潜水艦基地として大浦湾ビーチに基地が建設されました。

1945年、米軍がこの地域を占領し、補給基地として使用しました。

1946年、米軍は撤退し、住民により芋や米などの耕作が始まりました。

1956年、基地候補地交渉が行われ、久志村が選ばれました。

1957年、基地建設工事が始まりました。

1959年、アメリカ海兵隊の最初の部隊がキャンプ・シュワブに到着し、現在に至ります。

任務

キャンプ・シュワブの任務は訓練施設の整備と運営を行い、部隊配備プログラムに参加している歩兵部隊、戦闘強襲大隊、偵察大隊に施設を提供し、サポートすることです。

第3海兵兵站群が辺野古弾薬補給所を運営しています。

地域への関与

キャンプ・シュワブでは2002年より、基地内にある教育センターで地域社会人に英語講座を毎週提供していて、受講者の延べ人数はゆうに1000人を超えています。

イースター、ハロウィーンやクリスマスなどのアメリカのイベントやスポーツ交流で地元児童や父兄を基地内に招待したり、ボウリングや懇親会で地元首長らを招待したり、一般公開のフェスティバルなど、一年を通してさまざまな地域交流プログラムを実施しています。

またキャンプ・シュワブは辺野古区第11班として地元住民と共に辺野古ハーリー、辺野古運動会、沖縄すもう大会、大綱引き、名護桜祭などの文化交流プログラムにも積極的に参加して地元との親交を図っています。

 

キャンプ・シュワブ司令官

エリック・クラーク大佐

エリック・クラーク米海兵隊大佐

 

 

キャンプ・ゴンサルべス

 

1958年、沖縄本島最北端の国頭村と東村にまたがる森林地帯に、ベトナム戦争での対ゲリラ戦略学校として北部訓練場が作られました。

 

 

1986年、北部訓練場は沖縄戦で戦死して名誉勲章を受章したハロルド・ゴンサルベス1等兵に敬意を表してキャンプ・ゴンサルベスと命名されました。

1998年3月、北部訓練場はジャングル戦闘訓練センター(JWTC)と改称しました。

2016年12月、施設の過半以上の土地、4000ヘクタールが日本側へ返還されました。

任務

この施設はアメリカ国防総省唯一のジャングル訓練施設で、歩兵訓練、ヘリコプター訓練、脱出生還訓練、救命生存訓練などの密林環境下での過酷な戦闘へ備える訓練を専門家による教導を通して提供しています。

年間を通して数千人の在日米軍がジャングルスキルやサバイバル脱出訓練で施設を利用しています。

地域への関与

継続的に地元住民との交流を図り、機会がある度に施設を一般開放し、海兵隊員が実際に行っているロープを使った下降訓練や綱渡りなどを体験でき機会があり、さらには海兵隊が使用している水陸両用車両などの展示もあり、中に乗り込むこともできます。

伊江島補助飛行場

伊江島は沖縄本島本部半島から北西へ約9kmに位置し、島へは本部港からフェリーで渡航できます。

1945年4月、米陸軍第77歩兵師団により占領されて米陸軍航空隊飛行場となりました。

戦後は、米空軍が西側を空対地砲撃に使用して爆撃射程訓練を行いました。

最も訓練が頻繁に行われたのはベトナム戦争時で、1989年に米海兵隊に移管され現在に至ります。

任務

米海兵隊作戦支援分遣隊(OSD)は海兵隊のみならず陸軍や空軍の各部隊支援を行い、安全で効果的な訓練環境を提供できるように取り組んでいます。

米海兵隊太平洋基地の管理下で施設を運営・維持しています。

現在、実弾訓練は行われていませんが、1500メートルの舗装されていない珊瑚からなる滑走路や、擬態の強襲揚陸艦甲板、そして貨物や人員のパラシュート訓練に使われる降下訓練地域があります。

施設の任務は、飛行場での軍事行動の際に伊江島上空での航空機進路誘導、航空機救助および消火活動の支援等です。

地域への関与

OSDには海兵隊員と20数名の日本人従業員が勤務していて、日本人従業員は伊江島民で、警備員、地元との連絡員、大工そして射撃場の管理を担当しています。

毎年、OSDは海兵隊の設立記念日に施設を開放し、訪れる招待客の約65%が島民で、さらにOSDの海兵隊員らは地元行事などにも積極的に参加し親交を深めています。