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3月30日に行われた日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式に米側からは海兵隊第三海兵遠征軍軍司令官ロジャー・ターナー中将、在日海軍司令官カール・ラティ少将、米国大使館首席公使レイモンド・グリーン氏、そして米国硫黄島協会会長デービッド・バイス海兵隊少将(退役)が出席しました。

Photo by Aya Ichihashi

日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式

4 Apr 2024 | Aya Ichihashi Marine Corps Installations Pacific

令和6年 日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式

その名の通り、風向きによりわずかに硫黄のにおいがする硫黄島。小笠原諸島の父島から南に約280kmに位置します。

太平洋戦争の激戦地の1つであり、1945年2月19日、日本国内最初の陸上戦闘が行われました。激しい戦闘で日本軍2万1900名、米軍6821名が亡くなり、未だ1万1000人近くの英霊の遺骨が島に眠っています。

戦後40年が経ち、1985年(昭和60年)の2月19日、初めて日米双方の元軍人・退役軍人ら400名による合同慰霊祭が行われました。

3月30日に行われた日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式に米側からは海兵隊第三海兵遠征軍軍司令官ロジャー・ターナー中将、在日海軍司令官カール・ラティ少将、米国大使館首席公使レイモンド・グリーン氏、そして米国硫黄島協会会長デービッド・バイス海兵隊少将(退役)が出席しました。

硫黄島協会会長寺本鐵朗氏が追悼の言葉で「今日我々が享受する平和と繁栄は、それぞれ祖国、郷土そして家族を愛する勇敢な戦士たちの尊い犠牲と日米両国民のたゆまぬ努力の上に成り立ったことも忘れてはならない」と述べました。

第109師団長で硫黄島で戦死した、栗林忠道陸軍大将の孫で経済再生担当大臣の新藤義孝議員が「地下壕に潜んだままの旧日本軍兵士の遺骨収容は5割に届かず、未だ1万1千人余りの方々がこの島で眠り続けています」と語り、英霊の追悼・検証を行う共に、彼らの遺骨が故郷に還れるように活動を続けていくと誓いました。

厚生労働省社会・援護局の令和5年5月の資料によると沖縄・硫黄島を含む海外戦没者概数は約240万柱で、今現在も未収用遺骨概数が112万柱となっています。令和4年までに34万5244柱が収容され、遺族に遺骨を返せた件数は1638柱となりました。

デービッド・バイス海兵隊少将(退役)がノーマン・スミス海兵隊中将(退役)のメッセージを読み上げました。「献身的で勇敢な両国の兵士たちの事は決して忘れられることはありません。今日私たちがここで目にしている和解は日米間の歴史的な友情の揺るぎなき土台となるものです」

米国硫黄島協会によると硫黄島での36日間の激戦で27個の名誉勲章が海兵隊員22名、そして海軍兵5名へ贈られました。(海兵隊大学によると第2次世界大戦に参加した海兵隊員に贈られた名誉勲章は全部で82個)

「真の和解とは、日米が共に築き続ける友情と、共にする未来にあります」とレイモンド・グリーン氏が語りました。

結びに、ロジャー・ターナー中将が「(第三海兵遠征軍は)インド・太平洋地域の人道支援・災害救援・海の公共財の保護にいたるまで、唯一無二の統率された部隊として、いかなる危機にも対応できる即応態勢を維持しています。日米同盟は究極の希望の象徴であり、相互安全保障と協力の証」と力強く述べました。

慰霊碑は日本側(陸側)と米国(海側)で1つとなっており、両国が順番に献花・献水を行いました。

式典の音楽は陸上自衛隊中央音楽隊と第3海兵遠征軍音楽隊が合同演奏し、両国の深い繋がりを示していました。鎮魂歌として、日本側からは「故郷」、米国側からは「アメージング・グレース」が捧げられました。

黙祷、そして両音楽隊による鎮魂ラッパが演奏され、両国の国旗が退場し式典は閉会されました。


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