CATC CAMP FUJI -- 1979年10月19日、台風の強風が海兵隊キャンプ・富士の火災を引き起こしました。
多数の負傷者と13名の死者を出してから45年後、火災で亡くなった方の遺族、火災の生存者、そして基地のリーダたちや関係者たちが共にこの悲劇的な出来事を追悼しました。
追悼式典には、在日米軍副司令官のジョージ・B・ローウェル四世海兵隊少将が出席し、在日米国大使館のアーロン・D・スナイプ公使参事官(政治担当)が式辞を述べました。
スナイプ氏は式辞の中で「約10年前にこの施設を訪れた際、殉職した海兵隊員の追悼碑を見てこの火災について初めて知り、それ以来隊員たちのことを忘れることはなかった」と語りました。
今回初めて火災で命を落とした海兵隊員のきょうだいが追悼式典に出席する事になりました。
フィリップ・E・デュポン上等兵の兄弟、サミュエル・F・C・デュポン氏が妻とともに出席し、コリン・ミラー伍長のきょうだいのクレア・ミラーさんも出席し、「海兵隊員たちと一緒になって追悼式に参加したことは、葬儀とはまた違う感じがした」と語りました。彼女はキャンプ富士に来たことで、気持ちの区切りをつけることができたとも述べました。
デュポン氏とミラーさんは、亡くなったきょうだいを知る当時の生存者らと話をする機会を得ました。ミラーさんは、ミラー伍長が海兵隊員だった頃に感じたであろう強い連帯感を今回体験する事が出来たと基地を去る前に述べました。自分がひとつの大きな家族の一員であるという感覚やこの経験を他の家族とも分かち合いたいと。
ミラーさんは追悼式典に次回参加する際は、もっと多くの家族を連れてきて彼らにも同じ体験をしてもらいたいと語りました。
(仮訳)
英語の本文が正文
Translated by Aya Ichihashi